0807_更地を見る

アトリエ公演vol.1
芦屋康介と高野裕子

「あれを知ってる」
そんな風な感想を
一瞬間でも持つひとはどれくらいいるんだろう
前から来る人がお腹をさすりながら首をかしげている
その手のひらの熱
他人の体
皮膚と皮膚を行き交う見えないものについて想像しますかしませんか

彼ら彼女らのいないところで
人を思うように
わたしたちを思う、あの更地
あれを肉眼で見れるのは
役を演じないダンスだけのような気がしてる
今のところ、私はそれしか知らない

毎度言うようですが、
本当に本当にミクロな視点から取り組むのが
高野裕子の仕事なんだなあと改めて思いました
自分は更地から生んだものに体を持たせてやれないから
体が目の前で成すことに
やっぱりいつも100%食らってしまうな
(芦屋さんに名乗ることもできなかったほどに)
散らばるものを夢中で拾ってるみたい目を離せなかった

芦屋さん。
深淵のような瞳を持たれてるなあと思いました
声のまるみが耳に残ってる
演劇も見てみたいです
(次はアトリエ劇研の公演でしょうか、)

もしも今夜帰った部屋に誰かいたならば
今日のダンスのまねっこしたかったな
頭の天辺から足の爪先まで
存在をなぞる
存在の重み
実存をなぞる
実存の重み
言葉じゃなくて
言葉が示すものよりずっと

タイトルのない1時間を
ひとりとひとりが出会った
生身の反応の痕跡のように思いました
「人が二人いるって結構なんでもできるんですよ」
アフタートークの中でそんなことを裕子さんが話してた
その「なんでも」の中でひとりになったり、ふたりになったり
わたしになったりあなたになったりできる
できるんだよ
頭の天辺から足の爪先まで
わたしもあなたも
ね、

0714_ねむりの前のこころみ

土を守るべく、庭を守ることにした。
もうやるまいと思うことが増えたとしても
やったことないことが減っていくのがいい。
「確実に」踏むこと。
踏み外したあとの道を踏むこと。

あなたの思うよりずっと
言葉の息は永い。
言葉の手足は長い。
いかようにもあなたと生きられる。
指先に短い火を見ながら負け続けるのは私がいいと思う。

夜中、詩を1時間読んでいたら
自分の体が一本の線になっているような気がした。
いろんな場所で、いろんな生を生きて
まだ越境と分断を繰り返しても
この体になるべく多く帰りたい。
そうしていつかもう線以外にならなくてもいいように。

自室に広がるいつもの夜の延長で
(自室。この住所が私しか指さないということに時々うろたえる)
画面の向こうにかすかな人の気配があった。
線になることは、書いているときの体にも似ていたね。
「ねむりの前のこころみ」またやるかもしれません。
人気のない頃に、ツイッターでお知らせします。


その夜は2010年刊行の『別の星から降ってきたみたいだ』も読んでました。
死んでしまうことと、ひとを抱きしめたいということばかり書いてたなあ。

1時間読んだら、汗をかいていた。
喉元にも口腔にも言葉がなくなって、いよいよほんとうに静かな夜だった。
水際を背に立つなにかとなにかが
「池田彩乃」という名前を一口ずつ食み合っているような気がした。

0709_点を打つ


器と詩を扱われている「Rohan」さんへ
打ち合わせに出かけました。はじめての浜松。
Rohanさんには5月のオープン当初から詩集と『めいめい』をお取り扱いいただいていて、
お店のはじまりに遠くから関わらせてもらえたことは
本を作っていてよかったと思えた大切な宝物です。
そんなRohanさんで近未来感溢れる打ち合わせを終えました。
秋口〜年内どこかでイベントを行わせていただきます。
続報お待ちください!

Rohan
浜松市中区田町229-13
kagiyaビル305
12:00-19:00
定休日/水木
http://rohan-hm.com/

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その夜、浜松在住の絵描きの熊谷隼人さんの作品を拝見しました。
http://noteofkuma.com/
ほんの二日前に思い立って、ご連絡させていただいたところ
快いお返事をいただけて、春の東京での個展の作品たちを見ることが叶いました。
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熊谷さんの絵の中に目が歩み入るとき、体から力が抜けてゆく。
もっと言ってしまうと口も開いてしまうような、
体が体の基の形に戻ろうとする感覚があって、思わずきゅっと顎に力が入った。
花の図柄の前で立ち止まる。
(ああよかったね、)
毛並みを撫でる手を持ちたくてたまらなかった。
(そう、とても触りたかった)
線のしていること、点のしていること
それらが手を取り合い、あるいは隔たれて向き合うとき
浮かびあがる、土に親しい匂いある生きものの気配。
このひとは、形を分け与えてゆくひとなのだと、そんな風に思った。
光の連なりのような話をたくさん聞かせてもらって
それからのそれぞれ、言葉のない時間。うれしかったな。
熊谷さん、なつきさん、ありがとうございました。
きっとまたすぐに。
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夜行バスに揺られつつ一日が終わってゆく中
はじめて訪れた町をはじめて去っていく最中とは思えないくらい
とても満ち足りた出会いと瞬間の集まりで胸がいっぱいだった。
ひとつずつが根付いてゆくような確かさがあった。
降るようにやってくるよろこびは自分の体より大きくて
見上げながら浴びることしかできない。
やってきた言葉たちは点描。
頭のなかにどんどん色が点ってゆく。
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いつも旅する体を手放さないと約束しよう。
選びつつある道が自分への捧げもののように思えたのは
はじめてだった。

富士山が落ちていたよ。
浜松駅、昼は合唱のコンサートを屋外でしていて
とても清々しい日曜日の駅前広場だったし
夜はスケートボードをしている若い男の子の声が遠くまで聴こえていて、とてもよかった。

20170708_ひとりとひとりだ

『blackbird books 3周年記念トークイベント「夏葉社が読んできたもの 聴いてきたもの」
詩集と『めいめい』でお世話になっているblackbird booksさんにて。
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「自分にしかわからないだろう」
そう、書き手のことと、読み手である唯一の自分のことを強く信じられる力が小説の力なのだと
島田さんが話しておられた。
脇目もふらずにひとりで言葉に取り組むことと、
臆することなくひとりで読み、言葉から体得すること。
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私は、詩のことを思っていました。
詩を読むときはひとりだ。
詩を書くときもひとりだ。
詩を介してひとりとひとりで出会っているのだと
書き続けて、本を作って、人に会えば会うほどそう思う。
夏葉社のたったひとりとしての島田さんに出会えてよかった。
そんな島田さんの帰路に『発光』を連れていってもらえて、
なんて光栄なことだろう。ありがとうございます。
私は西荻窪FALLの三品さんの著書をようやく買えました。うれしい。
読み出しからもう三品さんの音楽と同じ匂いがしたような気がして、
にきにぎと言葉を噛みたくなったのでした。
あとは村上春樹の『女のいない男たち』を。
二人のお話を聞いていて、村上春樹を読んだ記憶が遠いことに悔しくなったので。
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新しい詩集『ほとり』を店主吉川さんに読んでいただく。
ほんとうにただ読んでほしくてうろうろ持ち歩いている。
(詩集をそんな風に扱っちゃいけないのかもしれないけど)
「突っ込んだことを聞くようですが」
「はい」
「恋をしていらっしゃるのですか、」
ひとしきり笑ったりしたあと、言葉の前で立ちすくんでいた幸せな時間を思い出して、ひと掴みを返した。
「恋じゃないけれど、ひとを思いながら書くことはあります」
ひとりで書いたものの中にあるだれかの気配。
つくづく、彼や彼女からもらっているのだと、まさかそんなことまでは言えなかった。
恋。
その言葉を浮かべたあとに読んでみたら、
水面がちょっと澄んだ気がした。気のせいかもしれない。
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「本当に他人を見たいと望むのなら、自分自身を深くまっすぐ見つめるしかないんです。僕はそう思います」

『女のいない男たち』
(「ドライブ・マイ・カー」)
村上春樹著

本と音楽をもっと頼っていいのだと、昨日の帰り道思っていた。
正しく読めない/聴けないことがもうずっと恐ろしくて恥ずかしかったけれど、
トライアンドエラーしてみてもいいだろうか。
言葉にしても、いいだろうか。